私が夢を諦めない理由
Posted by 輝く笑顔が生まれる靴屋 at 11:35 2018年10月23日
あなたの夢は何ですか?
子どもの頃、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんと過ごした思い出。
どんな思い出がありますか?
子どもの頃からじいちゃんばあちゃんと過ごす時間が長かった私。
親が迎えに来てもカーテンに隠れて
「ばあちゃん、いないって言ってね!」
親よりばあちゃんと過ごす時間が大好き。
近所の家に一緒に遊びに行き、お茶を飲む仲間入りしていた私。
そんな私も17歳になるまで ひいじいちゃんとひいばちゃんがいました。
(今も102歳のひいじいちゃんは健在です)
ひいばあちゃん(しものばあちゃん)が”私の人生に大きな影響を与えた”1人目。
小学校1年の運動会に一度だけ来てくれて。
「とほ(徒競走)で1位をとったら1,000円あげるが!」
施設入所してからも会いに行くと、いつもこの話をしてました。
中学生の時、親の「あんた人の世話が好きだから介護とか向いてるかもね」の一言から始まり、福祉を学べる高校へ。
高1の時、施設へ面会に行くと部屋から凄い臭い・・・
ちょうどおむつ交換の時間で、ひいばあちゃんはこの頃、排泄介助をしてもらうまでになっていました。
『便の臭いに耐えられない。介護の仕事なんて無理・・・。』
介護の道は甘くないと教えられた記憶。
17歳の夏。「しものばあちゃんがベッドから落ちた」
ばあちゃんの家に遊びに行ったときにかかってきた1本の電話。忘れもしない衝撃の日。
施設に行ったら部屋にいない。どこ?
廊下を四つん這いで這って移動してる人がいる。右肩を骨折しているのに。
誰・・・?
顔も身体も青あざだらけ。久しぶりに再会したひいばあちゃんの変わりようにショックで声が出ない。涙が溢れそう。
でも、泣いたらだめだ。泣いたらいけない。
言葉も話さない。目も反らす。私の知っているひいばあちゃんじゃない。
苦しくて悲しくて。涙を堪えた再会。
ここから「よし!またひいばあちゃんに会いに行こう!」交流が再開します。
あんなに冗談も言って、よく話をする人が言葉を失う。でも、言葉以上に大切なことを教えてくれた。
施設では、ホールの端に畳を敷いてくれて、そこで生活していたひいばあちゃん。
会いに行くと言葉はないけど、一緒に過ごす空間が心地よくて
介護技術も分からないけど、何かしたい。車いすに乗せて園内を散策したり
一緒にいるだけで小さな変化に気づく。ひじ掛けに指でトントン♪ リズムをとってる。
嬉しいのかな?
言葉はなくても雰囲気、表情、仕草から伝わってくる。
(認知症介護の道に進んでからこの体験が実は大きな影響を与えてくれました)
何度か会いに行くうちに
「また来るね」エレベーターに向かって歩き出したら
後ろから車いすを自操して追ってきました。
「家に帰りたいんだ」 「なんで隣におじさんたちが住んでるのに、家で暮らせないの?」
「しものばあちゃんは家に帰りたいのに」
”家で暮らし続けられる環境をつくりたい”
自分にもっと力があれば、家に連れて帰れるのに。
そんな思いと家で暮らせないことへの疑問。
その後、病院へ入院。
また1本の電話。「車いすごと階段から転落して一度呼吸が止まった」
機械に繋がれて一度は自発呼吸もした報告から安心して
会いに行こうと決めた時には「最後のお別れに行こう」
ひいばあちゃんから
介護をするって楽じゃないんだよ。人の排泄の世話もあるんだよ。
言葉だけが大事じゃない。”心に寄り添う”大切さを教えられ
本当は「どこで暮らしたいの?」選択できる環境を整える
~住み慣れた家で暮らしたい~
これから出会う人たちが望む暮らし。環境をサポートしたい
介護の現場に10年。
『家に帰りたい』『何で迎えにこんとね?』『もう一度歩きたい』『我が家が一番よか』
何度、この言葉を聞いてきたことだろう。
何度、誤魔化しながら施設で暮らす流れに戻そうとしただろう。
その時は目の前のことで精いっぱい。
心は全然嬉しくなかった。
私は家で介護しましょう!と推奨するのではなく、
足元が元気であることは、体も元気!
ピンピンコロリが理想♪
そのためには「健康は自分でつくる」
それが”元気な足で生き生きと。いくつになっても住み慣れた自宅で暮らし続ける環境”へ繋がるから。
だから私は、夢を諦めない。
子どもの頃、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんと過ごした思い出。
どんな思い出がありますか?
子どもの頃からじいちゃんばあちゃんと過ごす時間が長かった私。
親が迎えに来てもカーテンに隠れて
「ばあちゃん、いないって言ってね!」
親よりばあちゃんと過ごす時間が大好き。
近所の家に一緒に遊びに行き、お茶を飲む仲間入りしていた私。
そんな私も17歳になるまで ひいじいちゃんとひいばちゃんがいました。
(今も102歳のひいじいちゃんは健在です)
ひいばあちゃん(しものばあちゃん)が”私の人生に大きな影響を与えた”1人目。
小学校1年の運動会に一度だけ来てくれて。
「とほ(徒競走)で1位をとったら1,000円あげるが!」
施設入所してからも会いに行くと、いつもこの話をしてました。
中学生の時、親の「あんた人の世話が好きだから介護とか向いてるかもね」の一言から始まり、福祉を学べる高校へ。
高1の時、施設へ面会に行くと部屋から凄い臭い・・・
ちょうどおむつ交換の時間で、ひいばあちゃんはこの頃、排泄介助をしてもらうまでになっていました。
『便の臭いに耐えられない。介護の仕事なんて無理・・・。』
介護の道は甘くないと教えられた記憶。
17歳の夏。「しものばあちゃんがベッドから落ちた」
ばあちゃんの家に遊びに行ったときにかかってきた1本の電話。忘れもしない衝撃の日。
施設に行ったら部屋にいない。どこ?
廊下を四つん這いで這って移動してる人がいる。右肩を骨折しているのに。
誰・・・?
顔も身体も青あざだらけ。久しぶりに再会したひいばあちゃんの変わりようにショックで声が出ない。涙が溢れそう。
でも、泣いたらだめだ。泣いたらいけない。
言葉も話さない。目も反らす。私の知っているひいばあちゃんじゃない。
苦しくて悲しくて。涙を堪えた再会。
ここから「よし!またひいばあちゃんに会いに行こう!」交流が再開します。
あんなに冗談も言って、よく話をする人が言葉を失う。でも、言葉以上に大切なことを教えてくれた。
施設では、ホールの端に畳を敷いてくれて、そこで生活していたひいばあちゃん。
会いに行くと言葉はないけど、一緒に過ごす空間が心地よくて
介護技術も分からないけど、何かしたい。車いすに乗せて園内を散策したり
一緒にいるだけで小さな変化に気づく。ひじ掛けに指でトントン♪ リズムをとってる。
嬉しいのかな?
言葉はなくても雰囲気、表情、仕草から伝わってくる。
(認知症介護の道に進んでからこの体験が実は大きな影響を与えてくれました)
何度か会いに行くうちに
「また来るね」エレベーターに向かって歩き出したら
後ろから車いすを自操して追ってきました。
「家に帰りたいんだ」 「なんで隣におじさんたちが住んでるのに、家で暮らせないの?」
「しものばあちゃんは家に帰りたいのに」
”家で暮らし続けられる環境をつくりたい”
自分にもっと力があれば、家に連れて帰れるのに。
そんな思いと家で暮らせないことへの疑問。
その後、病院へ入院。
また1本の電話。「車いすごと階段から転落して一度呼吸が止まった」
機械に繋がれて一度は自発呼吸もした報告から安心して
会いに行こうと決めた時には「最後のお別れに行こう」
ひいばあちゃんから
介護をするって楽じゃないんだよ。人の排泄の世話もあるんだよ。
言葉だけが大事じゃない。”心に寄り添う”大切さを教えられ
本当は「どこで暮らしたいの?」選択できる環境を整える
~住み慣れた家で暮らしたい~
これから出会う人たちが望む暮らし。環境をサポートしたい
介護の現場に10年。
『家に帰りたい』『何で迎えにこんとね?』『もう一度歩きたい』『我が家が一番よか』
何度、この言葉を聞いてきたことだろう。
何度、誤魔化しながら施設で暮らす流れに戻そうとしただろう。
その時は目の前のことで精いっぱい。
心は全然嬉しくなかった。
私は家で介護しましょう!と推奨するのではなく、
足元が元気であることは、体も元気!
ピンピンコロリが理想♪
そのためには「健康は自分でつくる」
それが”元気な足で生き生きと。いくつになっても住み慣れた自宅で暮らし続ける環境”へ繋がるから。
だから私は、夢を諦めない。
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